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高い離婚率は昔からの伝統?明治6年の国際結婚第一号夫婦の結末 悲劇すぎワロタ


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こんにちは、2016年10月に妻の故郷フィンランドに移住したCaptainJack(@CaptainJacksan)です!

白人女性と結婚というと、ドラマのマッサンを思い出すかもしれませんね。

ネットで国際結婚について調べていたところ、3月14日は国際結婚の日になっていて、その理由は日本で初めて国際結婚が公式に記録された日だからと知りました。

その日本初の国際結婚のエピソードがなんとも興味深かったので、シェアしたいと思います。このストーリーではハッピーエンドは期待できません。タイトル通りの悲劇です!

 

 

日本初の国際結婚の真実

ネットで調べると情報は出てきますが、細切れでたくさんのページに散らばっているので、まとめてみたいと思います!主に以下の3サイトを参照しました。ありがとうございます!

 

情報元
1分で理解する「日本人の国際結婚と国際離婚」知られざる7つの実情
3月14日は国際結婚の日、由来と雑学を紹介【今日は何の日?】
高杉晋作の従弟・南貞助のドキドキ国際派人生 下

 

国際結婚第一号の記録は1873年3月14日

正式な記録として認められた日本初の国際結婚は、1873年3月14日(明治6年)。同日、明治政府によって国際結婚を認める布告がなされました。Wikipediaにも、「外国人との婚姻に関する規則公布(太政官布告第103号内外人民婚姻条規)」との記載があります。

なお、明治政府に婚姻届が出されたのは1873年でしたが、英語の文献Britain and Japan: Biographical Portraits 第4巻の記載によると、イギリスでは1年前の1972年9月20日に結婚していたようです。

 

長州藩の「南貞助」とイギリス人「ライザ・ピットマン」の夫婦

 日本政府公認の国際結婚第一号は、高杉晋作の従弟であり14歳で高杉家の養子となった南貞助」(みなみ ていすけ)と、留学先のイギリスで出会ったロンドン近郊の庭師とフランス人の母の間に生まれた娘「ライザ・ピットマン」の2人。

日本語で情報を探すとライザと出ますが、前述の書籍によると、ライザ・ピットマンの綴りはEliza Pittman。ですので、本来はエリザ・ピットマンと呼ぶのが正しいはず。貞助の読みは、同書にTeisukeと明記されています。

 

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Britain and Japan: Biographical Portraits 第4巻

 

結婚した理由

長州藩からイギリスに留学していた南は、留学先のロンドンでライザと出会い、結婚。

ライザが南と結婚した理由は、「南がお金持ちだと誤解したから」。一方、南のほうも「自分は人種改良論者だったので、日英の混血の子供が欲しかったのだ」と言っている、、とのこと。

ロマンチックすぎ ワロタ

 

日本初の国際結婚の結末

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結婚したその年の明治6年、南はライザを連れて日本に帰国。ところが1883年(明治16年)、2人は結婚10年目にして離婚してしまいます。

なんと、その理由は 妻ライザによる家庭内暴力

日本語で書かれた唯一の書籍「国際結婚第一号―明治人たちの雑婚事始」をレビューされている方のブログから、詳細を抜粋して紹介します。(参照:高杉晋作の従弟・南貞助のドキドキ国際派人生 下

 

明治16年、二人は離婚し、ライザはイギリスへ帰りますが、その離婚理由といいますのがなんと!、妻ライザの暴力です。貞ちゃんは、井上聞多宛の書簡で、妻の暴力について、以下のように述べているそうです。

 

原文

「その残酷なるは、拙官の愛する実父および実伯父母兄弟などに対し、残酷無礼を行い、ともにその残酷を受けること数度なり。よって実父は同居を去り、他家において死し、その他拙官の面部および手足を負傷せしめたること数度なり。明治15年2月に至りては、日本刀をもって切りかかり、酷してこれを脱し、実伯父の家にいたり、衣類などの扶助を乞ひ、あるいは官吏の家に潜伏すること数日、すでに告発し法律に訴えんとせしも、英国人親友の仲裁によって、別紙乙号約定書をもって誓いをなすにつき、こんどかぎり勘弁を加え候ところ、その後一月も過ぎず三月中、重ねてほとんど同様の挙動これあり候。故離縁の義申渡し候ところ、英国へ送り帰しくれ候様申出候故、同年四月上旬横浜出帆為致候」

 

訳文

「ライザは、ぼくの愛する父や伯父(晋作さんの父親です。おそらく)、母や兄弟などに対して、残虐無礼で、家族といっしょにぼくも暴力を受けたことが数回あって、父は家を出て、よその家で死んでしまったんだよ。ぼくの顔や手足に傷を負わせることもたび重なり、ついに明治15年2月、日本刀で斬りかかってきたので、必死になって逃げて、伯父さんの家に駆け込み、衣類なども都合してもらって、部下の家に隠れて数日、法に訴えようとしたのだけれど、イギリス人の親友が仲裁に入ってくれて、二度と暴力はふるいませんというライザの誓約書をとったところが、一ヵ月もたたないうちに、ほとんど同じようなことをやらかしたので、離縁すると宣言したら、ライザはイギリスへ帰してくれ、と言うので、四月上旬に横浜から出航させたんだよ」

 

完全な家庭内暴力、DVの例です。し、しかも女性側で、某量の程度も並大抵ではないと言いますか、夫のみならず夫の家族にまで暴力を振るい、しまいには日本刀で斬りかかってくるレベル

南の会社が倒産して生活が苦しくなったことによるストレスかもしれないと考察されてるんですけど・・・

 

日本刀 て!!

 

おかしいやろ!笑

日本人より日本人やん!そんなとこで。

 

というわけで、タイトルの明治6年の国際結婚第一号夫婦の結末の悲劇とは、日本刀で斬りかかるレベルのDV ・・・でした。当時何があったのか知りませんが・・恐ろしすぎるーw

 

日本初の国際結婚のエピソードをさらに詳しく知るなら

国際結婚第一号―明治人たちの雑婚事始というタイトルの本を、すでに参照書籍として紹介しました。目次を見ただけでおもしろそうなので、よければぜひ読んでみてください!

 

目次
序章 慶応3年の問い合わせ
第1章 第一号の栄誉
第2章 本邦嚆矢の国際人・南貞助
第3章 太政官布告第103号
第4章 明治14年のスキャンダル
第5章 英国人が関係した事例
第6章 身分にまつわる国際結婚
第7章 海外渡航者たちの物語
終章 人種改良論をこえて―明治の国際結根が意味するもの

 

 

こちらもついでに。国際結婚がテーマの読み物としておもしろそう。

 

こちら、国際結婚に関する実用書です。

 

まとめ

国際結婚は日本人同士の結婚より離婚率が高いことはよく知られてると思いますが、まさか国際結婚第一号夫婦がこんな理由で別れていたとは・・・。

文化の違い?言葉の違い?異国で寂しかった?何が原因かわかりませんが、反面教師にしてこんな風にはならないでおこうと誓いました。笑

 

 

ユリアちゃんも10年経ったら日本刀振り回すようになるのかな?

 

怖いな〜 勘弁してよ〜

 

 

フィンランドに日本刀はないよ。

 

 

欧米かて

 
最後に

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